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誤解してませんか?

3月 24th, 2010

現代においては、精神疾患もまた病気の一つと認知されるようになりました。

これらの病気は、少し前までは人格的な問題、もしくは環境的な問題として処理されてきました。

病気と認識されるにしても、かなり特殊なケースであるという扱いを受け、精神的な事で病院へ行く事は恥ずかしい事、隠すべき事というのが、多くの人の共通する見解だったと思われます。

アダルトチルドレンもまた、その中のひとつです。

この場合、『誤認識』とは全く違う、別の誤解が多くはびこっています。

というのも、その意味を正確に理解しておらず、言葉から連想する意味を何となく本当の意味として処理している人が非常に多いのです。

大人なのに子供のような心をしている人や、大人になりきれず精神的に幼い人物を指している、と思っている人が多いのではないでしょうか。

いわゆる、モラトリアムやピーターパン症候群と混同している人が多いようです。

しかし、実際は違います。

幼少期の家庭環境に問題があり、それが原因でしっかりした育成をされず、その結果心的外傷を負い、大人になってから問題を抱えている人たちの事を指すのです。

誰もが持つ可能性

3月 24th, 2010

アダルトチルドレンは、現代病のひとつとして多くの人が苦しめられている病気ですが、健常者との線引きが難しいと言われています。

逆に言えば、誰しもが可能性があるとも言えます。

幼少期に育てられた環境というものは、見方を変えれば健全と思われているものが実は不健全だったりするからです。

例えば、箱入り娘という言葉がありますよね。

外界との接触を断ち、欲しい物は何でも物資として与えられた子供がいるとします。

その場合、ほとんどは資産家の子供で、お金に不自由なく育った子供です。

しかし実際、その生活環境は決して豊かとはいえないケースが多々あります。

この結果、社会に出て大きな問題を併発させ、生活に困ったり、あるいは社会に融合できなかったりする人は少なからずいます。

また、一般家庭に育ち、普通に生活してきた人ですら、可能性はあるのです。

あまりに普通すぎて、自分の存在意義について考え、思考の袋小路に囚われるという状態もまたその特徴的な症状だからです。

そういう意味では、誰しもがその可能性を秘めているというのは決して大げさな話ではありません。

(1)二極化

3月 24th, 2010

精神的疾患としての線引きは、どこにあるのでしょうか。

基本的には、程度の問題と考えて差し支えないかと思います。

その特徴が数多くあてはまり、生活に支障が出るような症状を発症し、治療しなければ日常生活を送る事ができない、社会に出る事ができないという状態に陥った場合に診断が下されます。

では、その特徴というのは、どのようなものがあるのでしょう。

ひとつに『二極化』というものがあります。

とても極端な見方をするケースが目立つという事です。

例えば、一つの本があるとします。

この本には、とある物語が記されているとしましょう。

その物語はとても感動的で、素晴らしいと世間では絶賛されています。

しかし、その中の一人の主要登場人物が、あまり性格の良い人物ではなかったとします。

すると、その人物の存在だけでこの本全てを酷評するのです。

要するに、全てが完璧でなければ、全くの落第だという考えです。

こういった考えは、近年インターネット上で非常によく見受けられるものです。

つまり、その傾向がある人間が増えた、あるいは元々多かったものがネットによって具現化したとも言えます。

(2)存在意義

3月 24th, 2010

その特徴の中に、存在意義の否定というものがあります。

これは、基本的には自分自身に対してのものです。

自分自身が非常に矮小でくだらない存在だと思う、というものですね。

別にこれ自体は珍しいものでも特殊なものでもありません。

誰しもが一度はそう考えるものです。

例えば、テストで悪い点を取った時。

部活の試合で負けた時。

説教を受けた時。

自分の思い通りに行かない事が増えた時。

誰の身にも降りかかるものですが、精神疾患となる場合には、こういった思考を常に持ち、ずっとそれを払拭できないまま大人になります。

その結果、生きる希望を見失ってしまい、自傷に走る人が多くなっているのです。

幼少期に全く褒められずに育ったり、あるいは逆に褒められ過ぎたという人が結構多いようです。

その為、褒められる事がなく、認められる事もなく、脚光も浴びずに長年生きてきた結果、自分自身の価値を他者から認知されていないという恐怖に駆られたり、逆にそれまでずっと褒めてもらってきたのに、自分に対しての社会や他者の評価が急激に陥落した場合のギャップに打ちのめされたり、というケースがよく見受けられます。

(3)自己不信

3月 24th, 2010

最大の特徴ともいえるのが、いわゆる自己不信です。

自分というものが信じられない。

自分が好きではない。

自分の行動に自信がない。

自分の観念に自信がない。

自分というものがわからない。

様々な自己不信が、常に頭に渦巻いているという人が非常に多いようです。

こういった人が多いのは、やはり自分に自信を持たせてくれる存在がなかったという事が問題として挙げられるのでしょう。

逆に、過剰に甘やかされた場合も、今度は社会や学校での自身への評価のギャップに悩む人が多くなります。

こういった状況に陥っている人の多くは、他者への攻撃性も強くなり、同時に他者との接触を極力避けるようになります。

いわゆるうつ状態に近いと言えるかもしれません。

自己不信に陥っていると、大人になって他者から褒められても、それを素直に受け入れて喜ぶことができません。

客観的に見ても素晴らしい実績といえる結果を得ても、それに対して過小な評価を下し、自身を否定します。

周囲の人間からすれば「奥ゆかしい」、「自分に厳しい」という評価を下されるかもしれませんが、実際にはかなり辛い、厳しい状態です。

こういった傾向を持つ人は、しばしば『完璧主義者』という見解を持たれますが、実際には異なります。

単純に、自分を肯定してはならない、自信を持ってはならない、自惚れてはならないという脅迫観念に駆られている事が多いのです。

(4)不信感と対人依存

3月 24th, 2010

自己批判や自己不信といったものを抱える事の多いと、同時に他者への不信感もかなり顕著です。

他人を信用できない、信用する必要性を全く感じない、任せる事ができないという状態に陥っている人が少なくありません。

常に不安と戦っており、その不安を有する要素を恐れます。

他人への信頼は、まさにこういった不安を煽る形となり、それを忌避したいという行動理念が働くものと思われます。

その一方で、非常に対人依存の高い性質も持ち合わせています。

寂しがり屋というより、人との繋がりが断たれる事を恐れているといった方がいいでしょう。

嫌われる事や蔑まされる事、中傷や嘲笑をされる事、恥をかく事を極端に嫌います。

その為、他者に対して距離をとりたがる一方、相手側から引かれたり距離を置かれたりする事を極度に怖がるのです。

不信感と対人依存は、一見相反する性質のように思えます。

自分に対しての不信感も、自分を軽視しているのではなく、自分を客観的に見られない、自分の理想を高く見積もりすぎているからこそ起こり得るものです。

よって、そんな自分が他者から見捨てられる事を極度に怖がります。

ナルシストという性質と方向性が似ていまが、自虐的な部分を多く持ち合わせている点においては、全く正反対でもあるのです。

(5)過剰な責任感

3月 24th, 2010

責任感が非常に強いという面も見られます。

ただ、これも能動的、ポジティブな考えに起因するものではなく、自己への過剰な期待、他者からの評価に対する過剰な恐れが要因と言えます。

自分がこれをできないはずがないという期待と、これをもしできなかった時に自分は周りから低く見られるという不安が、責任感となっているのです。

もっとも、誰でもそういった心理は持ち合わせており、世にある一般的な責任感の概念はそういった感情が少なからず生み出しているものではありますが、それがあまりに過剰なのです。

日本の現代社会において、よく若い人に対して「自分から発言したり何かしようとしたりはしないが、言われた事はキチンとやる」という内容の評価が下されますね。

こういったタイプの人が今の若い人には多いという認識を持っている中高年の人も多いのではないでしょうか。

特に教育の立場にいる人は、これを間近で感じているかもしれません。

そうする事で恐れや不安を取り除き、精神的な安定を図ろうとするという事ですね。

こういった事は、健常者でも普通に思うものですが、日常生活に支障を来すくらい、過剰な責任感で精神を安定させようと試みるのです。

(6)ネガティブシンキング

3月 24th, 2010

ネガティブシンキングというのは、常に後ろ向きな事を考えるという事ですが、ある程度であればそれは性格として特に問題なく周囲に認知されます。

しかし一定の度合いを過ぎると、文字通り『病的』と見なされるでしょう。

例えば、道を歩いていて笑い声が聞こえてきた時、それは自分に対しての嘲笑ではないか、と疑ってしまう事。

自分が歩いている前を歩く異性が早足になったり方向を変えたりした場合、自分がストーカーか何かだと思われているのではないか、と感じる事。

電車の中やコンビニの立ち読みの途中で、自分の周囲から人がいなくなった時、自分が何か嫌な臭いを発しているのではないか、と疑う事。

こういった事を自然と考えてしまうのが、いわゆるネガティブシンキングです。

これはうつ病の人にも非常に多く見られる傾向です。

これには、例えば容姿的なコンプレックスなども大きく影響します。

ただ、それ以上に『恐れ』が大きな原因と言えます。

自分が醜く見られる、低く見られる事への恐れや不安を過剰に抱いてしまいます。

それが、ネガティブシンキングの根底にあるものなのです。

そういう意味では、うつとの共通点は多いと言えるかもしれません。

(7)空虚感

3月 24th, 2010

さらに深刻化した場合、空虚感、虚無感を抱く人が多くなってきます。

また、最初から常にそういった状況にある人も少なくありません。

空虚感はその典型的な症状のひとつと言えます。

あまり現在の世界に対して実感を持っていない、生の感覚がないという人がよく見受けられます。

これも現代の若年層を示す『ゲーム世代』と一致します。

ゲームの世界と現実とをうまく区別できず、現実であってもあまりその実感が湧かないと感じる状態ですね。

特に、あまりはっきりした動機もなく殺人事件を犯す人間が増えてきており、その原因として取り上げられるケースが多いようです。

幼少期にあまり両親と会話がなかったり、親が仕事で忙しく不在の時にずっと一人でゲームをやっていた、という子供が多く、その子供が大人になって、現実を現実としてしっかり認識できていないというパターンです。

今後はパソコン、インターネットに関連する空虚感、虚無感が指摘されていく事になるでしょう。

もっとも、このケースに関してゲームやインターネットの普及が悪の権化だ、という指摘は明らかに的外れです。

何かに影響される事はいつの時代にもある事で、それがわかりやすく表面化しただけの話ですから。

昔からこの手の症状を抱える人は多かったと考えられます。

こういった虚無感、空虚感を常に持つ人は、自分が何をしたい、将来どうしたいというビジョンも持たず、かなり辛い立場に置かれる事が多いようです。

(8)暴発と自己嫌悪の連鎖

3月 24th, 2010

周囲に与える問題点として最も多く指摘されるのは、いわゆる突然の暴発です。

基本的に感情表現が上手くなく、普段はあまり表に自身の感情を出しません。

それは、抑制された環境で育った場合、幼少期に親を含めた他者とのコミュニケーションをあまり取らなかった子供が大人になってからよく陥る状態です。

こういった場合、その感情を内部に溜めこみ、それがストレスとなります。

愛情に飢えている人もいれば、他人のちょっとした欠点がやたらと気になる人もいます。

そういった行き場のない怒り、あるいは悲しみといったものが、うっ積されていくのです。

ただ、人間はそれらの感情をいつまでも抱え込めるものではありません。

何か些細なきっかけで、それは暴発します。

ちょっとした事で烈火のごとく怒り出すメカニズムには、常にそういった背景があるのです。

感情のコントロールが上手くないので、それがモロに表面化してしまいます。

いわゆるキレやすい若者という若年層を象徴する言葉は、まさにこれが原因と言えるでしょう。

暴発の結果、親しい人間を傷付けてしまったり、恥ずかしい行動を取ってしまった場合、その後深い自己嫌悪に陥ります。

そして、さらにひきこもってしまいます。

この連鎖により、症状はさらに悪化していく事になるのです。

治療が必要なのは、こういった負のサイクルの果てに自分や他人を深く傷付ける可能性があるからです。